七転八倒

仲夏の焦燥

夏。8月。

長かった学生時代の夏休みの記憶もあってか、春と並んでなんとなく人の気持ちが浮き立って思えるはずの季節。

ぼくの不本意な『平成11年の、無期限の夏休み』は、暑いだけだった。なによりお金が減っていくのが、一人暮らしのぼくの焦りをことさらあおる。

6月まで働いていた行政書士事務所をクビになって収入の途絶えたぼくは、まず7月末まで昼間は工場でエアコン製造のライン作業、夜は運送会社の事務員としてめいっぱい働いてなんとか夏を乗り切るだけの生活費を確保してはいた。でも就職活動は8月だけで決着させないと、次の職場にありついても10月頭の資金ショートが避けられない。

どうしてこんなことになっちゃったんだろう。

これからどうなっちゃうんだろう。

岐阜(岐阜県)−桑名(三重県)−津島(愛知県)と、まだ支払いが1年残っている軽自動車を駆って職安をめぐり、各県の求人情報を収集して回るのが、週に一度のおきまりのコースだ。津島の自宅に戻るのに1日つぶれるから、いつも考える時間だけはあった。非自発的失業、というのは多かれ少なかれそんなものらしい。

まあぼくの場合、運がわるかった、ということに尽きる。たまたま平成10年に、初受験で受かってしまった司法書士の試験で数年分の運を使い果たしたのだ。その後あっさり採用された、センセイ一人僕一人の零細事務所は半年後、これまたあっさりとクビになった。目に見えて仕事が減った事務所での最後のぼくの仕事は、今後なけなしの仕事をやって行かねばならないセンセイの奥さんへの引き継ぎになった。これでは文句のいいようも無いかと、そのときには思っていた。

しつぎょうほけん、などというのはまともな会社のものだ、とそれなりにおとなしく諦めたのは、まず無知だったことと、おそらく噂と陰口と相互監視のネットワークが張り巡らされているに違いないこの業界への再就職を一応は希望しているぼくにとって、クビを切ってくれたとはいえこのセンセイ様の影響力を無視するわけにはいかないからだ。しかしながら、一つだけ決めていた。

次は失業保険、とかいうものがでる事務所を探そうと。

そのために職安に重点を置いて求人を探していたのだが、ここの担当者どもは「雇用保険に入っていない事業所で、解雇された」という者が来ても積極的には雇用保険の制度を説明しない。求人カードの「緊要度」の数字を9段階中の「8」にあげるだけ。無意味だ。実家のある静岡の司法書士事務所2件と土地家屋調査士事務所1件、愛知県西部の自宅からなんとか通える三重県四日市の行政書士事務所は既に不採用になっていた。

津島の職安は、家からそう遠くない。だからここだけは頻繁に通っていた。もう見慣れた津島職安の青いファイルに『砂上開発』の求人票を見いだしたのは、そろそろ資金ショートかアルバイト再開かの決定を迫られた、8月も下旬のことだった。

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晩夏の疑問

何が悲しくて、他の行政書士・土地家屋調査士事務所に就職するのに自分をクビにした行政書士・土地家屋調査士にあいさつに出向かねばならんのか。

職安経由で『砂上開発』こと行政書士・土地家屋調査士砂上清事務所に面接の予約をしたぼくは、さっそくその旨を伝えることと、これから面接を受けるべき砂上事務所についてのいささかの情報収集の依頼のために訪ねた芦葉事務所からかえる道すがら、深い深い溜息をついた。発想としては姑息なのだが、芦葉事務所のようなヒマな事務所でわずか半年では、実務経験というほどの蓄積はない。そしてぼくをクビにしてもなお、芦葉に老齢厚生年金の支給が始まる数年後までは死に体のままでも芦葉事務所は存続するだろう。こっちはもうしばらく経験を積まねばお話しにならない以上、再就職できても芦葉やその妻にどこぞの法務局で顔をあわせる危険性はつねにあるのだ。そう読んでやったことだったが、自分が人一人のクビを切ったことをなんとも思っておいででないばかりか、明らかに傾いているはずの事務所においてなお、金20万円なりを出して測量用のハンドヘルドPCなんかを買ったとはしゃぐセンセイ様のために設定作業を無償で手伝わされては気分も複雑にさせられようというものだ。ついでにいえば、稼働中のWindowsマシンの電源を平気で切りレーザープリンタに使い古しの折った紙を突っ込むこの老いた野蛮人のコンピュータリテラシーをぼくは全く信頼しておらず、この新しいおもちゃも結局一度も実戦で使用されることなくやっぱりお蔵入りとなったという。

平成11年8月26日。はじめて訪ねた砂上事務所は、どうやらえらいところにきてしまったと思わせるに十分な大きさだった。しかも小ぎれいだ。芦葉事務所のように自宅の一室で、猫がプロッタの上でお昼寝を楽しんでいる6畳間、横には娘さんが使っていたピアノが置いてある、というようなものではない。24畳はあろうかという執務室に、応接スペースと補助者のロッカールーム(!)と物置が併設されている。

採用は即決だった。芦葉事務所で経験した業務のこと、事務所でとっている昼の弁当が『まずいんだわ』ということ。以前司法書士の有資格者を補助者として採ったが、『天狗になっとって』辞めていったこと。特に不審な点はなかった。ただ一つを除いて。

砂上は僕の採用を決めかけて、おもむろに測量に出ていた補助者に電話をかけたのだ。曰く、
「今日面接に来ているコなんだけどよぉ、蓮江クンより年が上なんだけどいいかなぁ」
と。どうやらその補助者の同意があったらしく、

「じゃあ来週(月曜日。面接は木曜日に行われた)から来れるか?」
思わず大きな安堵とともにうなずいた。小さな疑問−なぜこのセンセイは、補助者の採用年齢にそこまでこだわるのか−、を押しのけて。

思えばこの瞬間、小ぎれいな地獄の扉はすでに開かれていたらしい。

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8月の呆然

やばい事務所に来ちまった!

そのことは、砂上事務所での勤務開始後5分でわかった。5分どころか、30秒で結構だ。こいつはまともじゃない。

なにしろこの新しいセンセイ様は、朝『おはようといわない』。

こっちが挨拶をしても平然と無言で歩いていくのだ。25年生きてきたが、こんな馬鹿はじめてみた。ついでに言うが、もう10年ほど生きた平成21年の時点でこれに匹敵する馬鹿者には出会ったことがない。文字通り鈴木慎太郎史上空前絶後だ。

さあどうする?これはかなりマズイ。逃げるべきか?そしてこいつは何様のおつもりなのか?周りの連中はこれが当然だと思ってる?でも、今逃げても資金ショートだ。とりあえずここは…

押し隠せ。なにも言うな。そぶりも見せるな。そして、聞くだけは聞いておけ。この職場の実情を。

…3秒で結論を出した僕は、とりあえず何事もなくその日、いきなり測量作業に動員されることになった。こんなときにはありがたいことに、この事務所では補助者同士が測量現場に出るらしい。事実上この事務所ではセンセイは測量なんかしない、ということがわかるのは先の話。

今日ぼくを連れ出してくださるのは浜浦さんだ。現場に向かう道すがら話すことには、彼がこの事務所最古参の補助者であること、もう今年辞めて自分で開業すること、補助者の定着率は悪く、先月も在職一ヶ月程度で一人辞めたあとすぐ職安に募集をかけて、5人面接にきたうちの一人がぼくだったのだそうだ。

「ところで、今朝皆さんがあいさつしても先生はふつう〜に歩いて席まで行かれましたよねぇ?あれはそういうものなんですか?」作り笑顔でたずねる。内心は大汗だ。

「ずっとそうだよ。なんでも自分が補助者だった事務所でそうだったから、らしい」

故 いかりや長介風に『だめだこりゃ』とでも言えたら、ここで終わりにできたのかもしれない。しかしぼくはいま、吹けば飛ぶよな新任補助者だ。先生どころかこの人のご機嫌を損ねてさえ、失業生活への逆戻りの憂き目を見かねない。ただしこれで、この事務所はなにしろ「人が定着しない」その主要な原因は「砂上のパーソナリティにある」ことは確定した。要は上下関係が極度に重要らしい。

だから既存の補助者より年上の人間の採用には(砂上の認識のなかで)問題が発生するんだ!
「年上の方が偉い」という考え方と「砂上事務所での在職が長い方が偉い」という考え方は衝突するから…

とりあえず芦葉事務所にいたころはきちんと出していた補助者登録も言を左右にして先延ばしにし、社会保険加入の方も問い合わせがないのをいいことに「何も聞かれないから、なにもいわない」ことにする。こんな事務所に年金手帳なんか預けちまったら、なんか大変なことになるに違いない!

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9月の平穏−ただし、かりそめの−

どうやらここは、補助者におそろしい負担を強いて動き続けるタイプの事務所らしい。

最初の給料日である9月25日までの丸一ヶ月で、「補助者は朝、先生におはようと言うのは当然で、先生は補助者がおはようと言っても、なにも言わないのが当然」という状態にはなんとか慣れた。要は仏像か何かが背広を着て歩いており、それを拝めばよいのだ。拝んでなにかいいことがあるか否か、は、もっぱら補助者の気の持ちようらしい。

仕事の方はなかなか結構な物量だ。後で聞いたらMホームとDハウスの一戸建てがらみの仕事が相当な量この事務所へ来ているらしい。芦葉事務所クラスの零細事務所なら4つか5つは十分食っていけるだけの仕事量である。おかげで、何にしても時間をかけて物を教えてくれる人はいない。勤務開始2日後だったはずだが、新築の建物表示登記の必要書類一式を「ぽん」と渡された。申請をかけられるように作っておけ、ということらしい。

さあ、大変だ。

登記用の測量計算ソフトのメーカーが違うじゃないか!おまけにプロッタも!

既にこれだけで半死半生だというのに、しかも皆さんお忙しい。ちんたら訪ねごとをしていたら蹴散らされるのがオチという塩梅だ。おまけに一台ッきりのプロッタは、おそらく説明書と首っ引きでも直線一本引ける状態に習熟するまでに数十分はかかりそう。

えぇい。しかたがない。

思えば当時は純朴だった。翌日朝「6時前」に一人で事務所に出てきて、定時の9時までの間に説明書と格闘して、なんとか建物所在図&各階平面図まで作りあげた。だれにも聞かずに。当然9時までの作業は無給で。とにかく申請可能な状態の図面を引いてしまったのだ。…もっとも、デジタイザがプロッタに実装されており、それは手で動かしていいということに気づくまでの30分は右往左往してただけなのだが。

思えばこれで砂上に「目をつけられた」らしい。

『よその事務所からフラッとやってきた着任3日目の補助者が、一夜明けたら平然と事務所の機材を使えるようになっていた』という印象をあたえてしまった、というのをあとでその妻から聞いた。

そりゃ違うって。ワタシゃ追いつめられただけなのよ!

そんなことばかりやっているから必然的に時間外労働も増える。求人公開カードにあった定時の午後5時に退勤できたことなど全勤務期間中1度もないし、お定まりのサービス残業、というのがやっぱりここでもあった。午後7時台の適当な時間にタイムカードを打刻したら、あとは仕事のめどが立つまでやりたい放題、というわけ。どうやらこの事務所の定時は、事実上午後7時過ぎ、先生が帰った後、ということのようだ。そうして新しい事務所の新しい仕事と新しい機材達に、必死で慣れていった。

しかしまだまだ、可愛いもの。この月までは、日曜日は出勤せずに済んだのだから。

この月の初任給をもらうまで、自分の給料がいくらなのかわからなかった。当時のぼくはここまで純朴だったのである。明細によれば、基本給18万5000円、残業手当がなぜか『時給1000円』求人票には1250円とあったのに、という疑問はあったがまだこの時点で逆らってはいけない。なにしろ敵は挨拶すらしない人間だ。この月の計上残業時間は、40時間44分。

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10月の奔走

名古屋市内で開発許可申請、といえばありふれた仕事だ。

しかしそれが、「市街化調整区域での」ということになると、少し塩梅が違ってくるらしい。

砂上事務所創業以来やったことがない(つまり、事務所内に参照可能な資料がない)仕事を、よりによってぼくがやることになってしまった。思えばこれも、先月『目をつけられた』のが災いしてのことに違いない。

しかも空恐ろしいことには、年に三回だか四回だかの書類の提出締め切りが「10月22日」だそうだ。

お前ぇ!そういうことを10月も中旬になって言うな!

しかも最初は浜浦さんと2人で担当させると言っておいて、いきなり1人にさせるんじゃない!

もちろんこの締め切り日までの間に測量だの他の申請書類の作成だのをテキトーに割り振ってくれるから、結局自分でその合間を見計らってなんとか膨大な、しかも事務所では作ったことがある奴がいない添付図面をでっち上げていくしかない。

しかも砂上は、そうした複数の仕事を順序も指定せず同時に割り振っておいて、ある日突然そのうちの一つができているか否かを尋ね、望みのものができていないと怒り出す癖がある。おそろしいことだ。

さらに今回は、申請人&申請地は名古屋市の南の果て。こちらは名古屋市の北にある某市だから、ハンコ一つもらいに行くにも車で往復3時間は吹っ飛ぶ。農業委員会やら土地改良区に書類を出しに行くのも、測量をしに行くにも全部だ。加えて途中から、市役所が思い出したように「申請人の捺印は、すべて実印でなければだめ」などと言い出して、もう一度申請人方に行ってはかえって砂上に怒られたりと、身の縮むような2週間を過ごさせてもらった。

結局、試合は延長戦に。10月24日の日曜日まで事務所に出てきて、さらに朝2時過ぎまでかけて半泣きで書類をそろえ、締め切り遅れの25日月曜、市役所で頭が膝の下に来るような平身低頭ぶりで書類を押しつけて一件落着となった。

これでこの事務所における『しごと』のやり方は見えた。つまり資料が無くても実績が無くても「やれ!」といわれればできてしまう、というよりやらねばならないものなのだ。あとは能率と、開き直りの問題だ。なるほど、浜浦さんはよく言った。

「この事務所は、しくじったときのクレーム対応まで含めて自分でやらなきゃならん事務所だから」

当時は小泉内閣ではなかったから、丸投げという言葉は使ってなかったな。

この月の給料はなぜか、基本給が18万円になっていた。もうわけがわからない。この月の計上残業時間は、なぜか書いていないが単価と支給額からして、53時間20分。

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仲秋の暗雲

砂上事務所でやらされた仕事に、忘れられないものがある。

結論から言えば、気づかないうちに公正証書原本不実記載の片棒をかつがされたのだ。

それは、見かけは普通の木造3階建て。建物の外見をみるかぎり各階同じ長方形で、屋根には天窓が着いていた。Mホームの建物の表示登記は、原則『建物の中を、みることはできない』。建築確認申請書と外見から適当に登記申請書その他の添付書類と建物調書(土地家屋調査士が表示の登記を申請する際に、調査結果を書く書類)をでっちあげるのが、この事務所のキマリゴトである。

しかし建築確認申請書の図面によれば、3階の形が妙だった。丁度階段の両側が、部屋がないことになっているらしい。1、2階は同じ形の長方形、3階は階段の両側が欠けていて「凸型」(出っ張った部分が階段)になっている。もちろん欠き取られた部分については、建築確認申請では床面積に算入されないとして通ってきているうえにこっちは建物のなかに入れない以上、その通りに書類を作って出すしかない。これはいつもの通りのこと。欠き取られた空間は、いったいどうなっているんだろう?

名古屋法務局にも、慧眼の士はいた。表示登記の担当者が、「詳細な報告を出すか、さもなくば実地調査をさせよ」と言ってきたのだ。やはりこの3階だけが「凸型」になった理由を知りたいらしい。

これをきいた砂上の対応は、異常に素早かった。この建物の施工担当者と立ち会いのもとに、『ぼくが』建物内に入ったうえで「登記がとおるように」法務局に報告を補足するようにと手配してしまったのだ。今回はなぜか、意地でも実地調査させたくないらしい。そして、自分としては足を運ぶつもりはないらしい。

…これで土地家屋『調査』士だと?なにかの間違いじゃないのか?

いよいよ建物内へ。東証一部上場企業Mホームの担当者の言いぐさは、ある意味登記行政と土地家屋調査士制度をまとめてコケにするものだった。彼は、なにもなくどこからも入り口がないはずの3階の壁を順にたたいて水平に移動しながら、こう言ったのだ。

「ほら、ここだけ音がちがいますよねぇ?表示の登記が通ったら、すぐここに扉を開けて部屋を一つ増やすんです。最初からそのつもりで施工してありますから、中は床もちゃんとできてるし、クロスも貼ってあるんですよ」

…なるほど天窓は、そのためだったのか…

って納得しているわけにもいかない。第一、建物表示登記申請書はもう法務局にでているのだ。申請前ならさっさと無断退社してでも逃げてたろうが…ええい、くそっ!

苦し紛れにその、今は扉も何もない壁の写真をとって「『現時点で』なにもないことを確認した」と法務局では報告。申請は無事に(!)通ってしまった。あ〜あ。

あとで砂上がいうことには「住宅金融公庫の金利をごまかすんやろ」と。

なるほど。公庫の貸し出し金利は新築住宅の床面積が一定値を越えると少し高くなるんですね。部屋1つ2つごまかせばぎりぎりで床面積を押さえて低い金利で融資が受けられる、というときにはそういう申請や施工や登記のしかたも、あるんでしょうな。いい経験させてもらいましたよ。

そういうことは、申請書を作らす前に言えっ!ヒトを犯罪者にするつもりか!

退職を具体的に考え出したのは、この頃からだ。

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11月の困惑

「スペアはいくらでも、おるんやからなぁ」

このオッサンはまた、そういうことを平然と言ってくれる。いくら事務所に2人きりだからといって。これで従業員の士気があがれば、すべての労務コンサルタントはお前の軍門に下るだろうよ…

10月下旬に採用した4人目の補助者である笹金さんの勤務状況について、砂上はどうやらぼくと話がしたいらしい。しかしこっちは例によって作り笑いで「いやあ、いまのところ全然問題はないようですよ」などと受け流しておくしかない。

簡単なことではないか、砂上は結局、すべての補助者についてこの程度の認識なのだから。

スペア。スペアですよ。職安と専門学校に募集をかければタダでいくらでも集められる、生活も個性も希望もある…消耗品。ここでは、ね。

「お前ら兵隊の代わりなんか一銭五厘(の、官製はがき)でいくらでも集められるんだ」と旧日本陸軍では言っていた、というのは本当だろうな。平成の御代に入ってなおこんなオヤジが事業経営上は、そこそこ成功してしまうようでは。

現時点ではそのスペアの中でもどうやら、砂上は年末に控えた浜浦さん退職後の主力たるべき補助者をぼくに選定しつつあるらしい。砂上事務所では在職歴が長いはずの蓮江さんについては「(建物の)表示でもやらしとけばええわ」と、よりによってぼくに言う一方で浜浦さんからは「オレが辞めた後は、ボーナスの額も仕事の中身で変わってくるって(先生が)言ってるけど…おまえの総取りだろ?」などという恐ろしい言葉が降ってくる。

なるほど確かに、11月末の時点でぼくがタッチした仕事は農地転用・開発行為・建物表示登記・境界立ち会いなどなどバラエティに富んだものになっていったのに対し、たしかに蓮江さんは時々二人で測量に出る他は、黙々と建物の表示登記にいそしんでいる。

一方で砂上はなにを血迷ったか、当時世に出て間もない「一人で測量ができる測量器械」を買ったのだ。三百数十万する代物だったが、ぼくがその月の土曜日のほとんどを無給でつぶして試験した結果は、めでたく「一人で使えはしない。実用に耐えない」。最終的に営業さん立ち会いのもとその結論になった。当初は砂上は、簡単な測量なら実際にこの機会と測量者一人で行わせるつもりで、この普通の機会より優に100万は高い機械に手を出したようだ。ああ、馬鹿くさい!そんなふざけた大人のオモチャが割り込んできたおかげで、いよいよぼくは自宅に仕事を持ち帰るようになりだした。…どうせ事務所でやってもカネにはならないのだから、せめて日曜日はわざわざ車で30分もかかる事務所に出てこなくてもいいようにしようというわけだ。

ちょうど小金が貯まりだしてきたこともあって、その「ふろしき残業」に使える一方で独立開業後も陳腐化しないだけの性能をもたせるようにしながら、少しずつコンピュータの周辺機器や新しいアプリケーションをそろえだした。当時はまだ、開き直ってこのむちゃくちゃな事務所の番頭を目指すほど悪人にはなれなかったし、さりとて辞める踏ん切りはついていなかったのだ。

結局2月にいきなり解雇されたことで、ふろしき残業対策としてはほとんどムダに終わったが、この時期買いそろえた装備たちのうちインクジェットプリンタが今も健在である。思えば芦葉も砂上も、営業さんからみればただのカモだったに違いない。

司法書士開業前の中部ブロック新人研修で最新のコンピュータを並べてほほえむ営業担当者達に目線をあわせる気にさえなれなかったのは、ちょっとした知識がある人間ならその値段の3分の1以下で同等のシステムが組め、営業さんたちの見解による耐用年数より数年は陳腐化させずに維持できるから、だ。

この月も基本給は18万のままだったが、これまで自家用車で通勤して通勤手当を支給されていたのを「砂上開発名義のガソリン給油用のクレジットカード」に置き換えられた。

砂上にしてみれば土曜・休日も自分で事務所に出てくるぼくが(その時点では)勤勉に見えたのだろうか。少しは私用のガソリンを入れてもかまわない、と言う趣旨らしい。これまでは1日300円の通勤手当だったから、1月の給油が六千〜八千円ぐらいになるよう調節して使わせてもらうことにする。

この月の計上残業時間は、さすがに勤務期間中の最高値に達して54時間47分。

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12月の失言

この事務所ときたら、毎月1度はなんらか薄氷を踏むような申請をやらされる。

結局ぼくの短い砂上事務所生活にピリオドを打ってくれることになってしまったのは、一見何の変哲もない「分家住宅」の建築のための農地転用−開発許可への申請だった。

簡単に説明しておく。もしあなたが人口50〜30万の都市にお住まいならならやや郊外へ、住宅よりは田畑が思いっきり多くなるようなところへ行って欲しい。それ以下の人口の都市ならちょっと市街からはずれればすぐだろう。その田畑のなかにぽつねんと、時に妙に新しい家が1軒だけ建っているのをごらんになったことがないだろうか。簡単に言えば、本来ならヒトが勝手に家を建てられないそうした田畑の一角をつぶして土を盛り家を建てられるようにする−そんな状態を実現するための手続である。

この申請自体は、類型としてははなはだ単純なもので11月末に提出してはいた。
ところが、だ。

12月も中旬になった夕方、砂上事務所に仕事を振ってきたDハウスの担当者から緊急連絡が入った。

なんでも、「工事業者が擁壁を、高く作ってしまった」とか。なんだそりゃ?

擁壁、というのは道路より低い田畑に家を建てるための盛り土をして道路よりやや高くするために、隣の田畑との境界に沿って作る「コンクリートの壁」のことである。現場でコンクリートを型に流して作ることもあれば、断面が「L」の形になって売っているものをトラックとクレーンで現場に置いて、Lの横棒の部分をあとで埋めてオシマイ、というものもある。埋める深さを「根入れ」と言って、擁壁の高さに応じてある深さ以上に根入れをして施工しなければならない。

他の行政書士に問い合わせてみたりもするが、そんなふざけた例はないらしい。とにかく翌朝現場を見てくることになった。念のため、物差しとスコップを持って。

翌朝はぼくの困惑をあざ笑うかのような好天だった。たまたま作業中の人に話を聞くと、「なんだか問題があって盛り土の工事は止まっているが、自分たちは建物建築のための基礎工事のために来ている」とか。
そりゃ、ストップもかかるべさ。

まず道路から擁璧の上端(天端)までの高さを計る。確かに、当初の設計より30cmほど高い。当然盛り土をした敷地内全体が、当初の設計図面より高く施工されることになる。じゃあこの擁壁、全体の高さとしてはどうなのよ、と土を掘り始めて5分。思わず逃げ出したくなるようなものが出てきた。

…人骨程度で済めば、どんなによかったことか。

この施工業者は、本来35cmは行わなければならない擁壁の根入れを「ほとんどやってない」のだ。擁壁の下に敷かれた、本来なら絶対見えてはならないはずの玉石をみつめながら、一応コンクリートの部分の高さを測った。

なるほどね。この擁壁そのものの寸法は計画通り。根入れがされていないぶん、結果的に擁壁上端が高い位置に来てしまいました、というだけだ。

問題はそれが完成してしまっていることと、これがばれた場合開発許可が取り消しになったり、法的には構造物(擁壁)の除却命令さえ出かねない、と言う点だ。

どうせ田んぼだから地耐力なんぞ無きに等しい。根入れを厳密におこなってまで、高さ2Mにも満たない擁壁の転倒を防止する工学的意義はない、というのが業者の判断なのだろうが、それと申請が通るか否かとは違うのだ。この業者、どこかの行政書士・土地家屋調査士事務所と同類なのだろう。

さあ!開発許可は既に下りているために擁壁の構築がはじまりいったんの完成をみたが、十四山村のバカ土建業者のおかげで施工はちゃらんぽらん。工事はストップ状態だ。擁壁と盛り土と配水設備を構築したら「完了検査」があってこれらが設計した通りに施工されていなければ、検査は通らない。つまり、擁壁や盛り土が計画高より高いことが歴然としている現状では絶対にバレる。ましてや擁壁の根元なんかほじくり返された日には一発でアウト、だ。

事務所に帰って早速、工事再開を施主から直接せっつかれているDハウスの担当者と砂上を交えて、報告がてら鳩首協議となった。とにかく現状では完了検査に合格せず、さりとて擁壁を作り直すことも工事を止めておくこともできない…

しかしてさすがは街の呆律家、行政書士砂上清センセイのご判断には一点の曇りもなかった。

「ごまかすか。擁壁のまわりにブル(ドーザー)かなんかで土を盛っといてよぉ。完了検査だけ通したら元に戻すわ。図面の方は直して、(開発行為の)変更許可だけとってよぉ」

「それをやったら図面をごまかして申請をかけることになりますけど!?」

言ってしまった。よりによって、顧客の目の前でセンセイ様に逆らい、かつ申請を通さない、と言ったに等しい。申請通してナンボの行政書士事務所で、最も言ってはならないことをいま、とっさに言ってしまったのだ。

やっぱりぼくは常識人であることを完全には捨て去れなかったらしい。とはいえやはり辞めるだけの決心がつかなかったぼくが偽造の添付書類をでっち上げて村役場に「開発行為変更許可申請書」を出したのは平成11年12月28日。なんとも悲惨な御用納めの午後4時50分だった。

この月はなぜか給料が、基本給18万5千円に復帰。しかもなにも言われない。困ったことだ。この月の計上残業時間は、46時間40分。でも、年末のお休みがあったからね。

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1月の暗転

今月から浜浦さんはいない。事務所は補助者3人態勢にもどったが、前月の失言以降、砂上の態度は徐々に、そして著しく冷淡になってきた。さすが砂上。挙動がわかりやすい。

仕事がラクになったのだ。

つまり砂上は複雑で重要な(ときにごまかしも必要な)、とくに開発許可関連の仕事を今度は笹金さんに重点的に配分するようになったらしい。ぼくの方はといえば、建物表示登記の仕事がふえて、あとは農地転用、たまに測量にでるか、という感じ。1月は閑散期なのか、冷や飯を食わされているという漠然とした危機感と同居しつつ、かりそめの平和を楽しんでいた。資料に目を通したり機材の取扱に習熟するため、休日自発的に事務所に出てくるような前向きな活動は昨年の時点でもうやめていた。結局ここで頑張ったとしても、使い心地のいいスペア、勤勉な犯罪者にすぎないのだ。

そんなことで、どうやらぼくと砂上の間には時ならぬ秋風が吹きつつあったらしい。すでにこの事務所に未練はなかったが、なんとか雇用保険被保険者としての期間を半年確保したい、というだけがここにとどまっている理由であり、砂上にしてみれば一応は使い物になるスペアを、焦って切る必要はない、というところだったのだろうか。しかし、「スペア鈴木のスペアである、笹金」がものになれば…

不安をはらみながらも給料がカットされるようなことはなく、基本給は18万5千円で据え置き。業務変化をするどく反映して、この月の計上残業時間は35時間48分。初の30時間台突入だ。
もちろん、実際はこれよりずっと多いのだけれど。

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晩冬の解放−ただし、かりそめの−

「無理して居んでもいいよ」

これまた強烈なお言葉である。ぼくの短い砂上事務所生活は、まことに予想外だったが砂上の妻に終止符を打たれてしまった。2月2日、他の者たちが全員測量に出ていた昼下がりのことだ。

どうやら砂上夫妻は、人がいないときを狙ってロクでもない台詞を口にするのがお好きらしい。自分のやることに自信がないのかお前らは?

「最近主人、(ぼくに)冷たいでしょう?謝っといた方がいいよ」

内心で冷静なぼくに、なおもたたみかけるお言葉。思ってたより早いタイミングでの第一撃だったが、まだ敵の意図は読めない。ただ、自分から辞めるようにし向けたいとも思える。しかも相手は奥さんで、砂上ではない。そして奴は、今ここにはいない。これをどう読んだらいいのか…たしかに、こんなクソ事務所に無理して居続けたくはないのだが、就職が8月30日である以上2月一杯在職していないと解雇になっても雇用保険の受給資格そのものが発生しないじゃないかバカモノ等々、既に辞めることを前提に思考が動き出す。

常識人が常識人であること、法律関係者が法令を遵守することが在職の妨げなら、解雇はむしろ名誉なこった。

そんな冷静さ、というより冷え冷えとした感情が、どうやら少し表に出たらしい。彼女から見れば非を指摘されて罪を認めないようにも見えたのか、ちょっと不満げな様子で午後3時過ぎに妻が帰って事務所はぼく一人になった。

うまい具合に表示登記の書類作成が終わって、次の仕事に移れるタイミング。

しかし、やる気は完全に失せていた。それに、砂上夫妻は携帯電話を持っている。今のやりとりは当然砂上本人の知るところになったはずだから、おそらくそれをふまえて何か手を打ってくるはず…

はじめたのは、机の整理だった。一応は、ばれないように。もし空振りに終わるなら、それでいい。仮にそうだったとしても、この事務所にもう、そう長くはいられない。

預かっていた書類を返し、必要なら即引き継ぎ可能な状態に。持って帰らなければならない私物は、洗いざらい車に積み込んだ。自家用車万歳だ!すべての作業がおわって身一つで退出できるようにしたあと、机をキレイに拭いてお茶を飲んでみる。すばらしい。所定勤務時間中に仕事放りだして「お茶」だ。あとは砂上から電話があるか、帰ってきて偏向判決を下してくれるのを待つだけ。

先に事務所に戻ってきたのは蓮江さんだった。開口一番「たぶん、ぼくやめさせられることになるよ」涼やかに言い放ったぼくに文字通り目を丸くする。

「申し訳ないけど、ここにいたって先は見えてるし、ね。なにしろ『スペア』だし」
「そうか…」

かいつまんで事情を説明されるほど黙り込んでしまった彼の退社のきっかけも、ぼくが作ったことになるのだろうか。でもこの世には確かに「在職すべきでない企業」というのがあって、そこからはとっとと逃げた方がよいのだけれど。

砂上は暗くなってから戻ってきた。椅子にかけるなり

「鈴木くん、辞めるんだってなあ?今日までか?」

オイオイオイ。ぼくは自分では辞めると言ってないぞ。いつ辞めるとも言ってない。そこまで勝手にコトを進めるなっ!

とはいえ敵からこっちが離職することを前提に期日を聞いてきたのは事実だ。しかも、今日のうちにぼくがここから消えることを期待してるとしか思えない。ただそうすると、明日は残った補助者2人だけで、藪を刈りながら測量をしなければならなくなってしまう…ああ、しょうがねぇな。

「最後のお願いです。明日の大山田のくいうちだけ、参加させていただけませんか?」

お願いどころかはり倒したいのを我慢して、殊勝な表情を作ってみる。それが効いたかあっさり承諾ときた。いい加減な奴め!明日は終日現場作業なので、直行直帰にしてもらう。鍵を返し仕事を引き継ぎ私物を撤収する一連の動作が妙に水際だっていたことに敵が気づいていれば、後の裁判でもっと強く「解雇の事実無し」という主張ができたのに。

ラスト一日は大変快適だった。なにしろ砂上の顔を見ずに済んでいる。ただ終日ことあるごとに、ぼくの不慮の退社を蓮江さんと笹金さんに嘆かれたのには困ったが、彼らとて大なり小なり退社の意向を持っているのだ。

平成12年2月3日。この日を最終の勤務として、行政書士・土地家屋調査士砂上清事務所を退所。在職期間、5ヶ月ちょっと。

この事務所では長い方だ、ということは、もう知っていた。なによりこれで不正や犯罪から足を洗えるのが気分を晴れやかにしてくれたし、もう行政書士だの土地家屋調査士だのの事務所に再々就職する気は、さらさらない。2月4日。例によって岐阜−桑名−津島と職安をめぐったぼくは、桑名の職安で風変わりなアルバイトを発見した。三重県の山中で砂防ダムの調査。日程1ヶ月。宿とご飯がついている、と。
これまた即決だったが、アルバイトとは言えさすがにまともな調査会社。2月の山は寒かったが、人をだましたりごまかしたりしなくても仕事になるというのは、すばらしいことだ。

最後の給料はなぜか時給1000円で計算されていた。7日の出勤で57時間働いたことになっている模様。なぜ1000円なんだ?という疑問が解決したのはずっと後、提訴のときだった。

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このコンテンツは、ブラックな零細企業の残業代不払いと本人訴訟の体験談です

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本ページで述べたような不正のご依頼は

Last Updated :2013-04-08  Copyright © 2013 Shintaro Suzuki Scrivener of Law. All Rights Reserved.